WEB STORE『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』
これは、僕の生きてきた証。
自信をなくして勇気が出なくなったとき『自信って自分を信じること』何回も自分に言い聞かせた。
あれは自分に向けた言葉。旅によって自分の生きる場所を小さいながらに見いだしてきた。
いろんなことがあった。楽しいことだって、受け入れがたいことも。
でも旅は僕を救ってくれた。僕の写真と言葉で大切に、勇気づけられると言ってくれる人がいるなら、
僕はあなたにこころを込めた贈り物をしたいと思います。
WEB STORE『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』(https://tabi-photo.stores.jp/#!/)にて、旅で見つけた宝物のメッセージポストカード、販売中。

2015年4月5日日曜日

ちゃんと伝えなさい!〜まっすぐ向けられた言葉。子供の頃の僕。吃音でも伝えなさい。





中学3年。教師に、叱られた。
僕はその、クラスの女の子に、伝えなければならないことがあった。ちょっとした事務連絡。でもその子はグループでワイワイ話している。でも意を決した。声は出なかったので肩に手を伸ばした。でもその手は届かなかった。僕は、諦めたのだ。声を出そうと手を出しながら言葉を出すために、体のどこかが激しく動いていたかもしれない。ものすごく顔がゆがんでいたかもせれない。そんな一連の僕の挙動を見ていた担任の先生の短くもその厳しい声に、周りは一瞬静まり返った。


ちゃんと伝えなさい!

先生の方を振り返ると、まっすぐ僕を見ていた。いつもの優しい顔じゃなかった。その女の子は何が起こったのかわからない様子で、僕ら二人をいていた。僕は、もう一度伝えようとして、でも最初の言葉が繰り返し出てくるだけで、どうしていいのかわからずそのままその場を離れたような気がする。はっきり覚えていない。


僕の話し方のことをちゃんと向き合って、僕にぶつけてくれた数少ない先生。いや、他の先生もちゃんと向き合ってくれていた。理解を示してくれていた。僕は、どもるから、しょうがない、そんな理解だったのかもしれない。本当に優しい先生が多かった。どもっても、ウンウン、て聞いてくれる。悪くないんだ。大丈夫なんだ。そう思った。僕は、いじめられていたなんて記憶は全くなかった。『いじめられたことなんてない』って聞かれるたびに言ってきた。でも嫌な思い出を都合よく消していただけだった。最近あるきっかけで思い出した。


小学校高学年になり、ある男の子が同じクラスになったことをきっかけに僕をからかい出した。菊地はきたない、あっち行け、どもる口真似もされた。一緒に遊ぶこともあったけど僕の一挙一動を批判され、ひどく罵られていた。でもなんとなくニコニコしていた気がする。よく、僕は何笑ってんの?って大人になってからも言われていた時期があった。僕はずっと周りに嫌われないように、人と話すときはニコニコするようにしていたのだと思った。あの小学生時代、ある時、どうしてかその時は耐えられなくなってしまった。いじめっこの彼は僕の持ち物を持ち「うわきったねー』と他のクラスメイトに投げた。教科書から筆箱から。その時だったかわからないけど、お前バーカと顔の筋肉全体を使い渾身の嫌な顔で僕にそんな言葉を向けた。僕は悔しくて、悔しくて。わんわん泣きながら、馬鹿じゃないもん!と手をバタバタと彼をたたいた。泣いていて、叩くというほどのものになっていなかったが。


僕は、学校で友達と何かして遊ぶのは好きだったけど、一人でいるのが好きだった。男の子が外で野球をしていたけど僕はあまり興味がなかった。サッカーとかドッチボールならたまにはやることもあったと思う。一人の時、僕は落書きをして、いろんな妄想をしていた。大人になったらこんなお家に住むんだ、なんて思ってその家の見取り図を書いていた。その敷地には線路が通り、道があり消しゴム大のバスを走らせた。電車が好きだった。だから、空想の車両基地を書いた。ホチキスの針で工作をした。想い想いの長さにして戦車をよく作った。一番後ろの端、窓側に座ってよく日向ぼっこをしていた。あったかな時間、今思えば現実逃避だったのかもしれない、とも思う。でも一人は楽しかった。放課後は、だいたいいつも同じメンバーで自転車に乗っていた。探検ごっこや鬼ごっこを、近くの神社で自転車競走をよくした。友達といろんな所に行った。でも、一人でもっと遠くまで行くのが好きだった。今日は隣町まで行くぞ。そんなことをつずけていて、いつの間にか僕は何時間かかけてちょっと遠い海まで行くようになった。とにかく自分の足でどこかに行くのが好きだった。初めての一人暮らしの時、神奈川県から世田谷まで引越しを自転車であの246を3、4時間は駆け抜けた。荷物なんてなかったんだけど、それでもバックパックに荷物を詰め込んで何往復かした。そんな変わった僕だったので、クラスメイトには変な奴と思う人も少なからずいたのだろう。



中学に入り、僕は隣の市へ引っ越しをした。両親が一軒家を買ったのだ。知ってる人は一人もいなかった。小学生の時は学年に2クラスだけだったのに急に7クラスのマンモス校になった。いつの間にか僕の口真似がはやるようになっていた。吃音を気にしだしたのはこの頃だと思う。こんなぼくじゃなければ、そう思った。お風呂に入り、どもりさえしなければなんてことばかり考えていた。



でも、そのまんまで大丈夫だよ、そんなことを言ってくれる大人がいた。ありがたたかった。そのまんまでいようと頑張ったのかもしれない。


20歳で大きな出会いがあり、その人に考え方、感性、何も知らなかった僕はいろんなことを学んだ。あの出会いは、ある意味で僕の一つの人生の原点だとも思う。本当に僕は何も知らなかった。その人も、僕のそのまんまがいい、そういった。自分にまっすぐに。正直に生きていればいい。

だからずっと信じてきた。僕のそのまんまがすばらしいって。嫌な自分も受け入れようって。自分で自分のこと抱きしめようって。本当はね少し無理していたかもしれないんだけど、その人が僕の人生からいなくなったあとも、ずっと唱えつずけた。


確かにそのまんまでいいと自分を受け入れようとしてきた時期は本当に大切な時間だった。でも単純な僕は『そのまんまがいい』っていう言葉をその言葉通り信じて、いつのまにか必要な時に自分を変える努力を放棄してきたように思う。


これが本当の僕。そんな言い訳ばっかり。


あの時、あの子に手が伸びなかったのは、僕は話せない、これが本当の僕。そう言い訳していた。先生はそのまんまじゃだめ。ちゃんと最後まで伝えなさい、そんなことを伝えてくれた。

僕はそのまんまでいいというセリフに、安心して、逃げているだけじゃ、だめなんだよ。

人は変わっていくもの。なりたい自分を想像して、近づくための努力をしなきゃ。


改めて自分にそんな言葉を向けてみる。





旅する写真家。旅歩家。 HIROSHI KIKUCHI

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