WEB STORE『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』
これは、僕の生きてきた証。
自信をなくして勇気が出なくなったとき『自信って自分を信じること』何回も自分に言い聞かせた。
あれは自分に向けた言葉。旅によって自分の生きる場所を小さいながらに見いだしてきた。
いろんなことがあった。楽しいことだって、受け入れがたいことも。
でも旅は僕を救ってくれた。僕の写真と言葉で大切に、勇気づけられると言ってくれる人がいるなら、
僕はあなたにこころを込めた贈り物をしたいと思います。
WEB STORE『旅写真と僕を支えてくれた言葉たち』(https://tabi-photo.stores.jp/#!/)にて、旅で見つけた宝物のメッセージポストカード、販売中。

2014年4月11日金曜日

本当に愛に溢れた人だと思った。〜旅での出会い。帰りの飛行機の中で出会っ た 女性



一人旅。
初めて一人で海外に行った時は、ほんと魔法のようだと思った。僕はどもるから人生何もできやしない。そう決め込んでた。こんな僕でも、見知らぬ外国に行って、見知らぬ人と話すことができて、仲良くなって、友達になって、ということが信じられなかったし、普通にそういうことが起きた。15歳の時、お風呂に入りながらどもるから何にもできないなんて思ってたことが、全て吹っ飛んだ。


初めての一人旅。シンガポールから帰国する飛行機の中。その時、隣に座っていたのが、シンガポール人のジャッキー。どもりながらだったけれど、たどたどしい英語で、いろんなことを話した。

本当に素晴らしい人だと思った。カナダで子供達に英語教師をしていたというが、本当に教師をらしい人格というか、ほんとうに愛に溢れた人だと素直にそう思った。出会った当時は大手銀行に勤めていて日本でも働いたことがあるというキャリアウーマン。


素晴らしく明るく、優しくて、いつも笑ってた。そして力強い。家族や友達を何よりも大切にする人だった。メールアドレスを交換することになったのも英語の勉強したいんだったら、私にいっぱいメールして。私がチェックしてあげる、と。それから僕は、ちょこちょこメールのやりとりをするようになった。

それから少したち、僕はシンガポールを起点にインドネシアを旅することにした。その時に、彼女たち家族を訪れることになった。シンガポールはそのとき二回目だったけれど、本当に綺麗で、でもいろんな文化がごちゃごちゃしたところもあって、刺激的なところ。


迎えてくれた、ジャッキー一家は本当に暖かい。特におかあさん。若い時に、中国の福建からシンガポールにやってきたんだというが、公用語である英語も喋れない。シンガポールでは華僑のコミニュティからでなければ、中国語で事足りるのだ。僕らに言葉で会話する術はなかった。

それでも、家にいる僕のことをとても気にしている。直接中国語で話しかけてくるか僕が

『?』


と顔をしてると、『ジャッキー』、と通訳を呼ぶ大きな声が飛んだ。



お風呂は?ご飯は?今日はどこにいくんだい?

と、中国語とジェスチャーに漢字の筆談やごくごく簡単な英単語で返す。

だいたいジャッキーがそばにいて通訳してくれたが、ふたりきりの時に、おかあさんはもしふたりの気持ちが通じあわなくても、少しの沈黙の後、

『あっはっは!!!!』

なんでもないなんでもない!と、手を振る。
本当明るい。


お父さんは、ほぼ椅子にすわってうつむいて寝ていた。(僕にとってはおじいちゃんぐらいの年齢だし、実際似てる)それでも、お父さんも僕を気にしてくれてるようで中国語で静かに何かを静かに語り続けた。僕はイチミリもわかりませんが暖かい優しさだけはは伝わりましたという顔をして相槌を打ちながら聞いた。

訪れたのは旧正月だった。手作りの正月料理をふるまってくれた。
お兄さん二人とともに、家族で食卓を囲んだ。兄のマーフィーは旅行関係の仕事だったので、旅のプランを一緒に考えてくれた。もう一人の兄ケイは夢をアツく語ってくれた。僕はエンジニアだ。この技術で途上国を救うんだ!英語力のない僕に、ゆっくり、アツく語ってくれた。

ひととおり家事が終ったおかあさんは僕の隣に座り、『はうつー???』(おいちー???的な中国語、のはず!)とにこにことした表情でじーっと僕を見ながら聞いてくる。
ほんとのお母さんみたい。

旧正月なので花火を見に行かないかとジャッキー誘われた。ジャッキーとシンガポールのビル群をマーライオン越しに眺めた。

『ね、あれが私の働いている銀行よ。』

なんだかめちゃくちゃかっこいい。その夜、ビル群とともに夜空と海面に咲いた花は、僕の中では世界で一番の花火になった。

旅歩家 HIROSHI KIKUCHI



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